自然食品「五穀の君」が復活? 〜復活秘話その2〜
17年ぶりの能登での生活
前回の記事【自然食品「五穀の君」が復活? 〜復活秘話その1〜】の続きです。
私は、千恵おばあちゃんの知恵と想いを受け継いで「五穀の君」を復活させる決心をしました。
2023年夏、東京の会社を退職し17年ぶりに能登での生活を始めます。10歳の時に進学の都合で金沢に引っ越してから、長く離れていたふるさとでの生活。
千恵おばあちゃんに当時の話を聞いたり、配合について教えてもらいながら、着々と「五穀の君」復活に向けて準備を進めていました。
「あとは新しい年を迎えたら製粉機を購入して工場を整備して、ついに商品の販売を開始できる!」という段階になり、ワクワクしながら2024年のお正月を過ごすはずでした。
能登半島地震の発災
家族でいつもと同じように元旦を過ごしていたはずが、16時10分、全てが一変してしまいました。
自宅から1時間ほど離れた場所を車で運転していたときでした。突然スマホのアラートが鳴り響き、慌てて車を止めた瞬間、車が激しく揺れ、飛び跳ねはじめました。道路は、波のように大きくうねっていました。
とんでもないことが起きてしまったかもしれない、直感的にそう感じました。
カーナビでテレビをつけると、どの番組でも「大津波」「逃げて」の大きな文字が目に入ります。2011年の東日本大震災の光景が頭に浮かび、亀裂と陥没だらけの道路を慌てて車で走りました。
家に戻ることができたのは、約24時間後でした。当然、停電・断水になっており、そこから長い避難生活が始まりました。

「五穀の君」復活計画も中断・・・
あらゆる環境が一変してしまい、これまで順調に進めていた「五穀の君」復活計画は中断せざるを得ない状況となってしまいました。
ライフラインが復旧するまでに長い時間がかかり、とても新しいことを始められるような状況ではありませんでした。また、私自身も町の復旧のために動く必要がありました。
諦める?それとも・・・
「五穀の君」復活計画はこれからどうしよう…
このことについて考えられるようになったのは、発災から半年がたった2024年の夏でした。
使用する予定だった奥能登の穀物の生産体制は大きく崩れ、仕入れることが難しくなりました。
工場として使う予定だった場所も使えなくなりました。
ここで計画を完全にやめてしまうという選択もありました。
しかし、発災を機に若者の流出がさらに加速していく能登の姿をみて、新しくここで何かを生み出さなければならない、そう思うようになりました。
「五穀の君」復活計画の再始動!
こうして再開した「五穀の君」復活計画。
今の環境でできる形に方向転換し、ほぼゼロからの再スタートにはなりましたが、ようやく商品化まで至ることができました。
使用する穀物のうち能登産のものは「はとむぎ」だけになってしまいましたが、それでもまずこの商品を知ってもらうことが第一歩。
そしてゆくゆくは、他の原料についても能登産のものを使用できるような体制をつくっていきたいと思っています。